イザヤ書 10:5~19

「斧がそれを振るう者に対して自分を誇り、のこぎりがそれを使う者に向かって高ぶることができるだろうか」(10:15) 

 アッシリアに向けての裁きの言葉です。アッシリアは神の裁きの道具であることが言われています(10:5)。神に使われていながら、自分たちの手に力があると思いあがったことが、この国の罪でした(10:13)。
 弱小のユダ王国の預言者イザヤは、なぜ強大なアッシリア帝国に向かい確信をもってこのような大それた預言をすることができたのでしょうか。アッシリアよりも大きな存在を知っていたからです。彼は預言者として召された時、神の玉座を垣間見ました(6章)。アッシリアの広大の領土も、強力な軍隊も、天の御座を知ったイザヤにとっては砂粒のようなものだったでしょう。
 神の御前にいかに自分が小さい者であるか、そしてその小さい者のために神がいかに必要なものを備えて豊かに用いてくださっているか、その恵みを知り、御前に低く低く生きるところに信仰者の喜びがあるのです。
 「誇る者は主を誇れ」。このことを学ぶことのなかったアッシリアは滅びました。国々の滅びの歴史は、神の裁きと救いを私達に証ししているのではないでしょうか。

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