マタイによる福音書 9:35~10:15

「裁きの日には、この町よりもソドムやゴモラの地の方が軽い罰で済む。」(10:15)

 主イエスが弟子達を遣わされたのは「イスラエルの家の失われた羊」がいる「町や村」でした。これは、主イエスが既に「残らず回られた」ガリラヤの町や村です(9:35)。教会は、既にキリストが歩いてくださった道を歩き、そこにキリストがまいてくださった種の実りを見に行く旅に遣わされているのです。
 弟子達は、最低限の装備で旅に出るよう命令されました。「何を食べようか何を飲もうかと思い悩むな」「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」というキリストの福音が真実であることを、身をもって知るためです。
 弟子達は不安になったと思いますが、それ以上に、ソドムとゴモラの裁きに主が言及された時に、託された使命の重さに圧倒されたのではないでしょうか。あの滅びからロトの一家を救い出した、アブラハムの必死の執り成しと同じものを彼らは担っていることを知ったのです。
 私達はキリストの十字架による執り成しによって、今あるを得ています。何度もキリストに出会いながら、キリストの御業を証しするためにこの命を使って生きましょう。

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