マタイによる福音書 9:35~10:15

「イエスは・・・群衆が飼い主のいない羊のように弱りはて、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。」(9:36)

 今、主イエスはイスラエルを牧する羊飼いダビデとして、群衆の前に立っていらっしゃいます(エゼ34章)。深い憐れみの先で、主イエスは「私が全て解決してあげよう」ではなく、「君たちが働くのだ」とおっしゃいます。
 パウロは「神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです」と言います(1コリ1:21)。主は12人をお選びになり、新しいイスラエル共同体として召し出し、派遣されます。なぜこの無力な12人が宣教に耐え得ることができたのか。それは、派遣に先立ってキリストと弟子達(教会)の、収穫の主に対する祈りがあったからです。
 主イエスは二人ずつ、6組を選ばれました。教会はその初めから、共同体でした。共に祈り、互いに励まし合う信仰の友が、全てに先立って備えられているのです。
 羊飼いにとっての「収穫」は、失った羊を再び取り戻すことです。私達は群れに連れ戻していただきました。真の羊飼いを世に証しすることによって、「悔い改めにふさわしい実」を結びましょう。

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