マタイによる福音書 9:27~31

「二人の盲人が叫んで『ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください』と言いながらついて来た。」(9:27) 

 「癒してください」と叫んだのではありません。「エレーソン(憐れんでください)」と言ったのです。この二人の盲人は、ダビデの再来のような強い王としてのメシアではなく、神の憐れみを自分にくださるメシアとして主イエスを求めました。
 マタイ福音書で、主イエスに向かって憐れみのメシアとしての「ダビデの子」と呼び掛けているのは、皆神の憐れみを求める「小さな人たち」でした。神の憐れみに飢え渇く中で、小さな人たちはイエス・キリストの真の姿を見出しているのです。
 主イエスは王宮に住んで、人々に大きな声で命令を伝えていくような方ではありませんでした。大通りに出てくることができないような人たちのところまで足を運び、直接向き合って、人知れず神の憐れみを世に示されたメシアでした(12:19)。
 二人の盲人は、主イエスに従う人たちの声と足音を頼りに、主の後を追ったのではないでしょうか。私達は今、あの時キリストの後に従っていた弟子達の足音に加わっています。礼拝する私達の姿が、「ここに礼拝がある」、という目印となるのです。

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