マタイによる福音書 6:25~34
「その日の苦労は、その日だけで十分である。」(6:34)

  空の鳥と野の花よりも神に愛されている弟子達に、「信仰の薄い者たちよ」「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」とおっしゃいました。黙ってうずくまっていれば神がどこからか憐れんで助けてくださる、というのではありません。キリストの弟子は、「インマヌエル」「主の山に備えあり」という真理を知るために日々の信仰を貫く戦いを続けるのです。   
 アブラハムは愛する一人子イサクをモリヤで捧げるよう神から言われました。彼は「何よりもまず」出発しました。三日間の旅の間、重い沈黙の中、心の中で神の国と神の義を求めて悲鳴を上げていたのではないでしょうか。
 神の義を求めるということは、この世の人たちとは違う方向を向いて歩む、ということです。目立ちます。馬鹿にもされます。しかし、その歩みが何かを生み出すのです。
 アブラハムの旅は三日続きました。一日目には一日目の、二日目には二日目の信仰の戦いがありました。その足跡が、後の巡礼者のための道しるべとなり、三日目の決断の場所に、後のエルサレム神殿が建ちました。
信仰者の一日の苦労は、後の信仰者のために残せる、何よりの宝として用いられるのです。             

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