マタイによる福音書 6:25~34
「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと・・・思い悩むな。」(6:25)

 私達は思い悩みます。どこで思い悩んでいるでしょうか。全て神に委ねてから、ではなく、委ねる手前で悩んでいます。主は信仰の手前ではなく、信仰の先にある景色を示してくださっているのです。
 神は預言者アモスを通して「私は大地に飢えを送る。それはパンに飢えることでもなく水に渇くことでもなく、主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ」とおっしゃいました(アモス8:11)。「私を求めよ、そして生きよ」(アモス5:4)とイスラエルに呼びかけられます。確かに、パンと水、地上の富はありました。しかし、イスラエルは「生きて」いなかったのです。「人は神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」とおっしゃったキリストの言葉を思い出します。
 主イエスは、信仰の先で必ず必要なものが与えられることをおっしゃいます(6:33)。飲み物や食べ物だけではありません。「迫害の際に語るべき言葉」も与えられます(10:19)。私達はキリストから平たんな道をいただくのではありません。荒野の歩き方を教えていただくのです。                 

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