マタイによる福音書 6:19~24

「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」(6:24)

 私達の信仰の業によって天に蓄えられる富は、終わりの時まで目で見ることはありません。だからこそ、今、目に見えるものに惹かれます。
 主イエスは「体のともし火は目である」とおっしゃいました。「目が澄んでいれば(健全であれば)」見るべき一つのものを見、そこに自分の心(全存在)を置いて歩むことができます。逆に、「目が濁っていれば(邪悪であれば)」いろんなものに目移りして、心をどこに置いていいかわからなくなってしまいます。
 「生活に苦しむ貧しい者に手を大きく開きなさい」と神はモーセを通してイスラエルにおっしゃいました。「与えるとき、心に未練があってはならない」とも言われます。「このことのために、あなたの神、主はあなたの手の働きを全て祝福してくださる」からです(申命記15章)。
 信仰共同体の中で、神のため、隣人のための痛みを、天に富を積んだ喜びとして受け止めることができているか、未練なく天を向けているか、聖書は旧約の時代から今に至るまで私達に問いかけています。

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