マタイによる福音書 6:1~15

「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。だから、こう祈りなさい。」(6:8~9)

 神は私達の心をご存じないから祈れ、というのではありません。神はすべてご存じです。「だから」祈れ、と主はおっしゃいます。「彼らが呼びかけるより先に、私は答え、まだ語りかけている間に、聞き届ける」(イザ65:24)。
 私達にとっての祈りとは何でしょうか。ある人はこのように言っています。「祈りとは、神と、神を父と呼ぶ者との間にある、信頼関係の表れだ」。神と私達の関係が、祈りという形となるのです。
 主イエスはゲツセマネで、悶えながらうつぶせになって祈られました。繰り返し、苦しみの盃が取り去られることと、神の御心が行われることを祈られました。主イエスは、罪人の赦しのために苦しみぬいて死ぬことを神がお求めであることをご存じでした。あの夜、主は悶えながら神との信頼の対話をなさったのです。
 「私が顧みるのは、苦しむ人、霊の砕かれた人。私の言葉におののく人」(イザ66:2)。これこそ、神の前に祈りの言葉を差し出す者の本当の姿です。
                        

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