マタイによる福音書 6:1~15

「そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」(6:4)

 主イエスは「人から褒められようとして」施しや祈りや断食をしてはならない、とおっしゃいます。神に帰すべき栄光を自分に向けようとすることは、ある意味では自分が神になろうとする試みだと言えるでしょう。
 2節と4節でだけ、主イエスは弟子達にむかって「あなた」と単数形で語りかけていらっしゃいます。神と自分の一対一の「隠れた」ことに目を向けるよう促していらっしゃるのです。
 「誰かが隠れ場に身を隠したなら私は彼を見つけられないというのか、と主は言われる。天をも、地をも、私は満たしているではないかと主は言われる」(エレ23:24)。創造主なる神は、「あなた」が行ったどんなに小さな信仰の業をも見ていらっしゃる、という励ましです。
 タラントンのたとえでは、財産を増やした僕に向かって主人が「主人と一緒に喜んでくれ(あなたの主人の喜びに入ってきなさい)」と言いました。私達は、自分が信仰を管理して結んだ果実を全て、世の終わりに神に差し出す喜びに向かっているのです。

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