イザヤ書 9:1~6

「その名は『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる。」(9:5)

 インマヌエルの君は「驚くべき(=不思議な)指導者」と唱えられることになります。メシアがもたらす平和は、理解に苦しむ「不思議な」救いなのです。イザヤ自身、「私達の聞いたことを、誰が信じ得ようか」(53:1)と言います。
 「あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、私を一人きりにする時が来る。いや、既に来ている・・・あなたがたが私によって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている」(ヨハネ福音書16:32~33)と主イエスは弟子達におっしゃいます。弟子達に見捨てられることがなぜ平和につながるのか、不思議です。
十字架のキリストを見上げることは勇気が要ることです。そこに目を背けたくなるような私達の罪と神の壮絶な愛があるからです。既に世に勝っている方が「勇気を出しなさい」とおっしゃいます。「もし神が私達の味方であるならば、誰が私達に滴定できますか」(ロマ8:31)。私達は勇気を出して、この方が担われた、平和を作り出すための痛みに与るのです。

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