マタイによる福音書 5:38~42

「誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」(5:39)

 悪人に打たれたり、誰かに無理やり「行け」と言われたりして、従順でいることが出来るだろうか、と考えます。
しかし、主がおっしゃっているのは「できるかできないか」ではありません。山上の説教は、「これが神の国だ」という「福音・喜びの知らせ」です。主は頬を打たれ、唾を吐かれ、裸にされ、鞭で打たれ、十字架を背負わされ、それを強要した人たちの罪のために御自分の命を与え尽くされました。私達はその方の支配に置かれているのです。
「1ミリオン行くように強いるなら」とあります。「無理やり行かせる」という言葉です。ここと、27:32でつかわれています。キレネ人シモンは、ローマ兵からイエスというユダヤ人の十字架を「無理やり担がされ」ました。シモンにとっては不名誉なことです。しかし、シモンは神の御業のためにこのような仕方で用いられたのです。
「キリストのために」頬を打たれるのであれば、その痛みが神の国の完成のために用いられた喜びを見出すことが出来るのではないでしょうか。            

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