マタイによる福音書 5:33~37

「しかし、私は言っておく。一切誓いを立ててはならない。」(5:34)

 主イエスの時代、ユダヤの人達は、律法で求められていないところで誓いを立てていました。「髪の毛一本まで神によって造られたあなたが、自分の言葉に重みをもたせるために神の名を用いるができるのか」、ということです。
 申命記を見ると、「誓う」「誓い」という言葉は、神が御自分の名に誓ってイスラエルを祝福し続ける、という際につかわれています。神の名によって自由に誓いを立てることができるのは、神のみです。
 ペトロは呪いつつ「イエスなど知らない」と誓い始めました(マタ26:74)。あの夜の誓いは、その後のペトロをどれだけ苦しめたでしょうか。「誓ってはならない」と山の上でおっしゃったキリストの言葉が耳によみがえったのではないでしょうか。
 「一切誓いを立ててはならない」というのは、神を求めず生きていけ、ということではありません。神の支配の下、神が与えてくださる恵み・試練に対して「然り、然り」、誘惑に対して「否、否」という言葉をもって生きる謙虚さが言われているのです。   

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