イザヤ書8:11~23
「異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。」(8:23)

 ある人は、「私達が神をどのように体験するかは、私達の神への姿勢によって決まる」と言っています。神を聖とする者に対して神は逃れの砦となり、平和となってくださいます。神を聖としない者にとっては、イザヤが言うように「躓きの石」となられます。
 イザヤ書2章には、終わりの日に全ての人々が神を求めてやってくる、という救いの完成が預言されています。この預言を信じる者は、自分が体験する今の苦しみは、救いの完成に到る準備期間与えられた必要な学びであることを知ります。神の御計画の内にあり、神ともにいまし給う危機です。
 イザヤはアッシリアに一番に攻め入られたガリラヤ地方に向かって、救いの夜明けの預言をします。「エジプトから救い出され、導き入れられた約束の地の本当の所有者は自分達ではなく神であった」、ということを学んだ彼らに、まず夜明けが来るのです。
 イザヤの時代から700年後、ガリラヤでイエス・キリストが神の国の福音宣教を始められました。神の時は、神のみが御存知です。私達は、その御計画を信頼するだけです。  

コメントは受け付けていません。

カテゴリーとタグ
2018年9月
« 8月    
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
ログイン
アクセス情報