イザヤ書 8:11~23

「主は御顔をヤコブの家に隠しておられるが、なお私は、彼に望みをかける。」(8:17)

 イザヤは、ユダの人々が頼りにしていたアッシリアとの同盟は本当の同盟とは言えないことを神から示されます。彼は同胞に向かって「私は神に頼るが、あなたがたがどうするかは自分で決めなさい」と突き放した言い方をします。約束の地に入った際にヨシュアがイスラエルの民に言ったのと同じ言い方です(ヨシュ24:14~15)。
 神を頼らなくなった人が頼るのは口寄せ、霊媒、死者への伺いです。神への不信仰が迷信を作るのです。信仰者には迷信は必要ありません。神を聖とする礼拝の中で、神の深い御計画を知り、その御計画の中へと召されて行くからです。
 神は「私はここに居る、ここにいる」とおっしゃいます(イザ65:1)。主イエスもそうです。「渇いている人は、誰でも、私の所に来て飲みなさい」(ヨハネ7:37)。
 いつでも、聖なる方を真に聖とすることによって、「私はここにいる」という神の言葉が我々の耳に与えられるのです。  

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