マタイによる福音書 4:23~5:12

「憐れみ深い人は・・・心の清い人々は、幸いである。」(5:7~8)

 ある人は「『憐れみ深い人』は、深刻な危機に直面している人ではないか」と言っています。主イエスがおっしゃるのは「神の憐れみ」を前提としている「憐れみ」です。神はご自分への負債(罪)を無償で赦してくださいました。それは痛みを伴うことでした。人を憐れむことは、痛みを伴う「危機」でもあるのです。
 主が十字架の上でお示しくださった私達への赦しに伴う痛みはすさまじいものでした。あのキリストの痛みによって赦された私達は、どれだけこの世において赦す痛みを負っているでしょうか。主は山の上から私達に問いかけていらっしゃいます。
 主イエスがおっしゃる「心の清さ」の背景には詩編24編があると言われています。「主の山に登り聖所に立つに相応しいのはどのような人か」、それは、「清い心を持つ人」である、とあります。そしてそれは「主を求める人」(詩編24:6)のことなのです。主を求める人は「栄光に輝く主の到来」(24:7~8)を見ます。
 信仰生活は巡礼の旅のようなものです。それと分かる形で目の前に楽園が置かれているのではありません。「望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認」(ヘブ11:1)しながら、世に生きる辛さを忍び、神の御顔をはっきりと見る希望に生きるのです。  

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